本日は全校朝礼からスタートしました。校長先生からは、「敷居」の話がありました。空間の敷居、人との間の敷居、立場によって変わる敷居…など、相手を尊重するとは、どのようなことか教えていただきました。
親しい仲にも礼儀あり、相手を尊重した距離感は大切ですね。 |
令和3年11月23日
全校朝礼
生徒の皆さん、おはようございます。
まず、3年生の修学旅行ですが、明日の天気が荒れ、大型船が出ない可能性がありますので、本日出発します。2年生の移動教室は予定通り24日出発となります。どちらも安全で実りある宿泊行事にしていきましょう。また、1年生は学校でお留守番となりますが、落ち着いた学校生活を送り、期末テストを頑張ってください。
さて、きょうは「しきいは踏まない」というお話をします。3年生は京都や奈良でたくさんのお寺や神社に行くことになりますが、その入り口のところに閾というものがあります。例えば、これは明後日行くことになる奈良の東大寺の南大門ですが、しきいはこの部分です。
しきいは「敷居」と書きますが、「閾」という字も使われます。これは地域の域という字にも同じ漢字の部分がありますね。したがって、閾という字は門の向うに別な世界が広がっていそうですね。
昔の人は、この世(生きている世界)とあの世(死後の世界)が混同しないようにと、お寺の山門(入り口の門)に敷居を設けました。敷居を踏むということは、この世とあの世の境界線をないがしろにすることであり、人々は忌み嫌いました。
ですから、3年生の皆さん修学旅行でお寺などを見学するときは、敷居は踏まないようにしましょう。ただし、先ほどお見せした東大寺の南大門の敷居はとても大きい敷居です。小柄な人は跨げませんので、そういう時は踏んでもかまいません。また、車いすの利用者には坂道が設けられていますので、この点も配慮があります。
この敷居を踏まないという考え方は、「AとBという2つの世界を混同せず、その境界線を意識しけじめをつけて行動する」ということに一般化されると思います。一般化されると、いろいろな場面で応用が効くようになります。具体例を3点ほどご紹介します。
1点目は、空間的な境界線です。学校と家庭です。登校時、新中に入るときに閾はありませんが、家庭と学校とのけじめをつける心の閾は持っていてほしいと思います。
2点目は、人付き合いにおける境界線です。「親しき仲にも礼儀あり」という言葉があるように、人にはだれでも、あまり触れてはほしくないものを秘めています。また、たとえ仲良しの友達同士でも、ふざけ過ぎて相手の人格を傷つけてしまうこともあります。このように、人の心にも自由に立ち入っていい部分と、そこから先は立ち入ってはいけない部分、傷つきやすい部分がありますね。
3点目は、自分の中の心の境界線です。例えば、休憩時間と勉強時間のけじめです。その境界線を行き来するときは気持ちの切り替えが大切です。また、かっとなった時、つらい出来事に遭遇した時など、人はついつい感情に流されてしまうものです。でも、人は感情と理性という2つの心の領域を持っています。感情がその境界線を踏み越えて理性をなくさせることがあってはなりませんね。終わります。