令和2年12月14日
朝礼講話
生徒の皆さん、おはようございます。
東京都の公立学校は12月の朝礼で、「暴力はいけない」という話をすることになっています。でも、皆さんは、暴力はいけないということはわかっていますよね。どういう風にお話すればよいか、考えてきました。そこで、今日は、同じ環境でも天国にもなれば地獄にもなるというお話をします。
昔あるところに、天国と地獄を体験した人がおりました。その人は、初めに地獄を体験しました。地獄の入り口で体験学習の手続しました。そして、食堂に通されました。
そして、地獄に落とされた人たちが集まり食事の時間となりました。1mもある長い箸なのでとても食べづらそうでした。そして、自分の長い箸で同席の人をつつくなど、迷惑をかけていることにも気づかず、自分の食事に夢中になっていました。やがて、喧嘩が起きました。殴り合い、食べ物を投げ合うなどまさに地獄の光景でした。
やがて、食事の時間となり天国の人たちが集まってきました。「いただきます」のあいさつの後、何ということでしょう。天国の人たちは、その長い箸で食べ物をつかみ、相手の人の口に差し出しているではないですか。そうやってお互いに食べ物を差し出し合って、笑顔で仲良く食事をしていました。その人は、なるほどここは天国だと思いました。
今のお話をイラストにしてみると、このような感じです。地獄は自分さえよければという世界、天国は分かち合う世界ですね。(イラストは著作権の関係で本ブログでは割愛します。)
どうですか。同じ豪華な食事と長い箸、同じ環境でも天国と地獄に分かれることがわかりましたか。これは、物語ですが、現実にこれに似たことはないでしょうか。
例えば、マスク。マスクは感染症を防ぐとても大切なものです。でも、それを買い占めて自分は大儲けをして、マスクが手に入りづらくし、多くの人々を大変苦しめました。当初は法律には違反してはいなかったかもしれませんが、人間として許せない地獄の行為です。同じマスクでも天国と地獄に分かれます。
もう一つの例ですが、私たちのこの「手」です。次の漢字を見てください。
「看」と「撲」です。看は、相手の眼の上に手を当てて看病する意味です。撲は殴るという意味があります。どちらの漢字にも手という字が含まれていますね。同じ手でも使い方によって天国と地獄に分かれます。
先日、暴力をなくしていくためにアンケートを行っていますが、同じ手でも天国になったり地獄になったりしますので、お互いに気をつけて行きましょう。終わります。