2021年5月18日火曜日

全校朝礼講話

  おはようございます。

 まず、四島大会ですが、残念ながら中止となってしまいました。でも、新中の方針は、「できることはやりましょう」ということなので、新中だけで記録会を行うことになりました。感染防止に注意しながら、頑張りましょう。

  さて、いじめ防止についてですが、この「新中からいじめをなくすために」というお知らせを今年も配ります。中学生が読んでもわかるように易しい言葉で書いてありますので、後で読んでおいてください。

  いじめというのは偏見と差別が原因の一つであるので、きょうは、偏見と差別ををなくしていきましょうというお話をします。

  まず、差別とは偏見から生まれてくるものですので、偏見とはどういうものかについて説明します。この図を見てください。Aという大きな集合体の中に、黄色の一部があり、それをA以外のところから眺めている構図です。



 たとえば、Aを日本人全体とします。そして、そこに日本人の一部の人たちがいます。それを日本人以外の外国の方が日本人を見ているとします。次のようになります。



 ここで、偏った見方とは、一部の日本人だけを見て日本人全体はこうだと判断してしまうことです。でも、この偏った見方は悪いものだけではなく良いものもあります。

 例えば、ある日本人が努力してノーベル賞を受賞したとしてら、外国の方は日本人は努力する人たちだと思います。でも、仮に自分は努力なんてしていないと自覚している人も、悪い気はしません。そして、では、私も努力してみようかなということになります。これは、決して悪いことではなく、可能性の芽を伸ばすことになります。

 逆に、ある日本人が海外旅行で恥ずかしいことをしてしまった場合、日本人全員が同じような恥ずかしい行為をする人だと思われるのはよくないと思います。このように、悪い部分だけを見て全体も悪いと決めつけてしまうことを一般的に偏見といいます。同じように、日本人が外国人を見るときにも偏見を持ってはいけません。

 また、女性と男性の関係も同じです。一部の男性の良くない行為を見て男性全体がそうであると判断したり、その逆も同じです。



 最後に、今度は同じ人の中にある一面です。だれにでも、長所や短所があります。その短所だけを見てその人はこうだと決めつけることも偏見だと思います。



 その短所には、他の人にはわからない何かしらの事情があると思います。それが次の図の青い部分です。なんであの人はそうなのかな?と思う時、青い部分の「知られざる事情」があるかもしれません。一部分だけを見てその人を攻撃してしまったら、その人のもつ大切な命や未来そして夢をなくしかねません。


 以前私が勤めていた学校に、ある女子生徒がいました。授業中は何もせず、寝ているときもありました。いつも夜更かししているような感じで、周りの生徒からもよく思われていませんでした。部活もやらず、放課後すぐに帰っていました。

 でも、その子の家には赤ちゃんがいて、その生徒が放課後、赤ちゃんのお守りをしながら乳母車を引いて買い物に行ったり、夜遅くまで家族の世話をしていたのです。そういう事情を知らずに、学校でのだらしない一面だけで、その生徒全体を判断できないですね。

 その生徒は、今社会問題化している若年介護者だったのです。

 まとめです。以下の通りです。



 終わります。

2年 移動教室 Final

5月17日は、1年生は式根島遠足、3年生は修学旅行ということで、校舎内には2年生だけでした。少しさみしい学校ではありましたが、4校時には移動教室の事後学習で、班ごとにまとめのスライド作成を行いました。 班ごとに話をしています